松浦尚子のワイン日記

サンク・センス代表取締役社長/ボルドー国立大学公認ワインテイスター

1964年本当に美味しいワインを飲むのに一番必要なこと。それは、ただ「待つこと」なのかもしれません。

昨年の秋、フランスワインの銘醸地、ブルゴーニュ地方を訪ねた友人が、キラ星のようなワインがひしめく「コート・ドール(黄金の丘)」と呼ばれる丘陵で、オールド・ヴィンテージワインを一本求めて来てくれました。ブルゴーニュワインの中心地である「ボーヌ」で、地元での強いコネクションがある、古い掘り出し物に自信を持つお店のようです。悩んだ末に購入したのが、1964年産の赤ワイン。3万円ほどで、ショップオーナーお墨付きで決めたそうです。瓶の中で長い眠りについてから、およそ半世紀に近い、45年の歳月が経っています。


銘柄は、「ECHEZEAUX(エシェゾー)」。これは、そのままワインの原料となるブドウが収穫された「ブドウ畑」の名前に当ります。「ロマネ・コンティ」もブドウ畑の名前です。そして、ブルゴーニュ地方はちょっとやっかいなのですが、秀でたブドウ畑に格付けがなされています。2000年に及ぶ長い歴史の中で、偉大なワインができると経験的に選び抜かれた土地が、20世紀初頭よりフランスのワイン法により、最高峰のグラン・クリュ(特級畑)に格付けされました。全体に占める割合では、わずか2%、33銘柄というの奇跡の土地。この「エシェゾー」もグラン・クリュ畑の一つです。

日本国内ではまず、40歳を超える古いワインで、状態の良いものを見つけること自体難しいでしょう。フランスで、それもワインが造られた土地の近くで、長期保存されていたことは大きな保証がついているようなものです。もちろん、年を取ってフランスから長旅をしてきたワインは、少なくとも3ヶ月以上は横にして休めてあげなくてはなりません。せっかく長い時間を掛けて待っていてくれたのに、疲れ切ったところで眠りから覚ましては申し訳ないというもの。


古いワインを買うときの指標になるのが、ヴィンテージ・チャートです(各年のワインの出来を一覧表にして、例えば20点満点中、何点かなどをあらわしたもの)。1964年は、私の手元のチャートでもなかなかの高得点を記しており、60年代では、61年、62年、64年、66年、69年の評価が高くなっています。とはいえ、ヴィンテージ・チャートも各造り手の腕やポリシーによるところが大きいので(例えば、悪い年と呼ばれる年でも生産本数を絞ってよいものを造るなど)一概に悪い年が全て悪く、良い年が全て良いとは言えません。それでもやはり良い年は得てして寿命が長く、質の悪いワインに当る確率は少ないといえるでしょう。

エシェゾーさて、1964年のエシェゾーは、ややオリがたまり、色調はややあせて薄くなっていましたが、年齢を経たワインによく見られるようなオレンジから茶色がかった熟成のニュアンスは控え目で、グラス中央部の色合いは、未だ「さくらんぼの赤」のような鮮明な美しい赤色をも思わせるのに驚きました。コルクは、しっとりと濡れて、弾力がある、非常に長いものでした。

オリが舞い上がらないようにゆっくりとグラスに注ぎ、香りを確かめると、想像とはかけ離れた若々しい華やかな香りに思わずむせてしまったほど。赤い果実のフランボワーズ(木いちご)やいちご、チェリーのような赤くてフレッシュな香りがまだ十分に保たれていました。その横で、熟成から来る、なめし皮のような香りや、スパイス、森の枯葉や湿った土を思わせるような複雑なブーケもしました。が、主体は、赤い果実の心地よい甘さを覚えるほどの香り。酸もしっかりと保たれており、1時間以上掛けてゆっくりと楽しみましたが、時間の経過にもへこたれることのない持続力がありました。

正直45年前では、もう寿命を過ぎているかな?と期待を抑えていただけに、ブルゴーニュのグラン・クリュワインの長命さと熟成の偉大さに圧倒されました。こうしたワインに出会えると、これまでのワインに対するイメージというものが一変してしまうのではないでしょうか?サンク・センスでも偉大な古いワインに出会っていただけるチャンスをより多くの方に提供したいと思っているのですが、なかなか現状は難しいのが実情です。ワインはコルクを開けてみるまで分からない、運命に任せたとも言える「出会い」でしかないからです。

その夜寝付くまで、そして翌朝にも鮮明に1964年のエシェゾーの香りを鼻の奥の中で、思い出すことができました。感動を覚えた忘れることのできないワインとの一期一会の出会いでした。